献杯挨拶

父は酒が好きでした。


好き過ぎでした。


告別式では、ボーイスカウトで地域社会に貢献、とか言いましたが、
キャンプの晩は、きっと毎晩酔っぱらいになっていたんだろうなぁと、
息子としては正直身が縮む思いで、
そこはまぁ今日の所は、目をつぶっていただいたわけです。


飲みすぎだと文句を言っていましたが、
病気で飲めなくなってしまうと、飲ませてやりたくなる。
母は常々そう申しておりました。


今日は酒好きの父のためにということで、
これから運転しない人限定ですが、
形ばかりでも結構ですので、父の代りと思って飲んでやっていただきたく、
お願いいたします。


ご唱和をお願いいたします。
献杯

遺族代表挨拶

2010年6月11日午前2時33分 父逝去 享年74歳


 6月13日 午後 6時 納棺式
 6月13日 午後 7時 前夜式
 6月14日 午前10時 出棺式
 6月14日 午前11時 告別式
 6月14日 午後 1時 火葬


前夜式と告別式は、家族全員が洗礼を受けた甘楽教会(群馬県富岡市七日市)で
執り行った。


以下、前夜式・告別式での遺族代表挨拶:

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本日は父勢太の葬儀にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。

キリスト教会での式ということで、戸惑いもあったかと存じますが、
父の生涯に感謝をささげることで、家族への慰めをいただきました。

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今から3年前、父は突然の脳梗塞で倒れました。
すぐにも呼吸が止まるだろうと言われ、
そこは持ちこたえてくれましたが、
動くことも、話すこともできず、寝たきりになりました。


当初は、視線や指先を使ってわずかな意思の疎通をはかっておりましたが、
段階的に病状が進み、
父の魂は動かす事ができない体の中に閉じ込められてしまいました。


倒れる前の父は、母と揃っての健脚でした。
前の年も一緒に八ヶ岳に登りましたが、
70歳過ぎの老夫婦が登るようなコースではありませんでした。
私は舌を巻いて、
こういう年寄りになりたいもんだと、心から思った事を憶えています。


父が倒れたのは、それから数ヶ月後の事でした。

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父は、たいへんな働き者で、
子供の頃私は、果てしなく働く父を見て育ちました。


後に理解したことは、父は決して仕事一本槍の人というわけではなく、
自分のやること全てに一所懸命な人なのだという事でした。


仕事から離れたあとの父は、
画家になった末息子に刺激されて、絵を描くことに再び打ち込んでいました。


もともと歩くのが好きな人でしたが、自由な時間が増えた後は、
「散歩」と称して歩く距離が、毎日10キロを超えていました。


そして、晩年の父にとって一番大切だったのが、
ボーイスカウトだったと思います。
ボーイスカウトの指導を通じて地域社会に貢献していることは、
父の大きな生き甲斐であったに違いありません。

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父が頑張って生き続けてくれた3年間、
その心の苦しみは想像を絶するのでありますが、
たいへんに行き届いた介護によって、身体的な苦しみは最小限であったと思います。
その主役は、母でした。
お疲れ様でした。


また、母本人にとどまらず、
母の兄弟と親戚の皆様、近隣の皆様、教会の皆様、そして
母が医療関係のキャリアの中で築いてきた「人の繋がり」に助けられて、
特別のご配慮とご支援を頂戴していることを、
とても強く感じておりました。


心から感謝しております。

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先週、10日木曜日の夜、母からの電話で、
離れた土地で暮らす3人の息子たちが集まりました。


父の顔を撫で、体をさすりながら話しかけるなど、
父が元気だった頃には思いもよりませんでしたが、
3年間のうちにそれが自然にできるようになっていました。


私たちの声は、最期まで父に聞こえていたように思います。


そして父は、静かに、本当に眠るように息を引き取りました。


3年間も頑張ってくれた上、最期のお別れの時間までもらえて、
私たちは落ち着いて別れを受け止めることができました。


父の魂を閉じ込めていた体が、土に帰る日が来て、
魂はようやく解放され、天に召されました。


父の生と死の全てに感謝致します。

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今後の事ですが、
父の昇天で、母の肩の荷がすっかり降りてしまいました。


祖父の介護が過ぎ、祖母の介護が過ぎ、病院の仕事から離れ、
一緒に暮らしていた孫が大学に進学し、そして父の介護が過ぎました。


人間、肩の荷をおろし過ぎると良くないとは聞きますが、
仕事を離れた父が、思いのほかたくさんの生き甲斐に囲まれて
忙しく生きていたことを思えば、
母も同様に楽しく忙しく暮らしてくれるだろうか。
そうあって欲しいと願っております。


父の残した4人の家族、普段は離れて暮らす間柄でございます。
この富岡の地で、毎日の生活圏をともにしている皆様には、
これまでと同様、今後のことに付きましても甘えさせていただきたく、
何卒よろしく、お願い申し上げます。

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本日はまことにありがとうございました。

自分が何をしたいのか

もし、他人の評価など全く気にしないなら、僕は自分のやりたい事が変わるだろうか?

いや、、、

もし、他人の評価など全く気にしないなら、それでも僕にはやりたい事が残るのだろうか?

47歳の新年は、本当にパッとしない新年でしたよ。

死ぬ気があれば、自由に生きられる。(ガンジー


自由に生きる時、僕はどうしたいんだ?

僕はどうして、冬休みをつぶして仕事をしようとしているんだ?

自転車にも乗らずに。

そして、どうしてその仕事が手につかず、うじうじと時間を浪費しているんだ?

何か理由がある。

自分の精神力に理由を求めてはいけない。

精神力が発揮されない理由が、何かある。
それを見出して、解決する必要がある。

24時間、自分のやりたいことだけやって何が悪い。それをやりつくしても、時間は全然足りないのに。(山本恭子 )


そのとおり。

時間はあなたの人生の貨幣である。あなたが所有する唯一の貨幣であり、それをどう使うかを決められるのはあなただけだ。あなたの代わりに他人に使わせないように気をつけなければいけない。(カール・サンドバーグ


僕は、誰かの人生のためでなく、自分の人生のために時間を使っているのか?

これが、僕が自分の人生でやりたい事なら、こうして家の書斎で「仕事しなきゃ」と悶々とするのが自分のやりたい何かのためになっているっていうなら、喜んで悶々としよう。

でも、きっと違う。僕は間違っている。

2010年の新年、僕は2009年の間違いを引きずってスタートしている。

大きな石

今更だけれど、
細部にこだわり、漏らさない事にこだわり、
完璧主義を通していると、
大きな石を入れられなくなるよ。

絶対にやり切れない程の仕事を抱えた時、
全てをパーフェクトにやろうとはしない。
どれをやるかの選択が、最重要になる。

いつも、そうであればいい。

活路を見出す

先日、9月まで私の上司だった役員と話をした。
彼は、私がどうやって活路を見出したらいいか、という主旨のアドバイスをしてくれた。

活路?

『活路を見出す』必要がある程追い込まれているという自覚は無かった。
でもそれが、傍目の自分なのだ。
ポストを棒に振った。で、どうすんの? と。

何か早く成果をあげる必要があるとも言われた。
これまで10年以上成果を上げ続けて来た。現在の私の評価は高い。が、今は今で『急いで』成果をあげないと、埋もれてしまうという事だ。

軽くショックを受けた。
少し焦った。
会社内の力学を軽んじ過ぎたか。
自分の信念を貫くための深慮遠謀が足らず、ストレート過ぎたか、、、

いや、いや。

私は開発部長のままでは、自分の器を広げられないと考えたのだ。
これまで成功したやり方で、これからも成功するのだろう。
そして倦むだろう。

環境を変えることで機会を創り、機会によって自らを変えるのだ。
25年前に行わなかった選択を悔やむのでなく、
25年後に悔やまぬ選択を、今するのだ。

自分の選択を支持しよう。
ただ、現状は客観的に評価して、アクションを決める。
私は埋没したくはない。
自分のためにもだけれど、それよりも、自分に期待してくれている多くの人たちのために。