遺族代表挨拶
2010年6月11日午前2時33分 父逝去 享年74歳
6月13日 午後 6時 納棺式
6月13日 午後 7時 前夜式
6月14日 午前10時 出棺式
6月14日 午前11時 告別式
6月14日 午後 1時 火葬
前夜式と告別式は、家族全員が洗礼を受けた甘楽教会(群馬県富岡市七日市)で
執り行った。
以下、前夜式・告別式での遺族代表挨拶:
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本日は父勢太の葬儀にお越しくださいまして、誠にありがとうございます。
キリスト教会での式ということで、戸惑いもあったかと存じますが、
父の生涯に感謝をささげることで、家族への慰めをいただきました。
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今から3年前、父は突然の脳梗塞で倒れました。
すぐにも呼吸が止まるだろうと言われ、
そこは持ちこたえてくれましたが、
動くことも、話すこともできず、寝たきりになりました。
当初は、視線や指先を使ってわずかな意思の疎通をはかっておりましたが、
段階的に病状が進み、
父の魂は動かす事ができない体の中に閉じ込められてしまいました。
倒れる前の父は、母と揃っての健脚でした。
前の年も一緒に八ヶ岳に登りましたが、
70歳過ぎの老夫婦が登るようなコースではありませんでした。
私は舌を巻いて、
こういう年寄りになりたいもんだと、心から思った事を憶えています。
父が倒れたのは、それから数ヶ月後の事でした。
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父は、たいへんな働き者で、
子供の頃私は、果てしなく働く父を見て育ちました。
後に理解したことは、父は決して仕事一本槍の人というわけではなく、
自分のやること全てに一所懸命な人なのだという事でした。
仕事から離れたあとの父は、
画家になった末息子に刺激されて、絵を描くことに再び打ち込んでいました。
もともと歩くのが好きな人でしたが、自由な時間が増えた後は、
「散歩」と称して歩く距離が、毎日10キロを超えていました。
そして、晩年の父にとって一番大切だったのが、
ボーイスカウトだったと思います。
ボーイスカウトの指導を通じて地域社会に貢献していることは、
父の大きな生き甲斐であったに違いありません。
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父が頑張って生き続けてくれた3年間、
その心の苦しみは想像を絶するのでありますが、
たいへんに行き届いた介護によって、身体的な苦しみは最小限であったと思います。
その主役は、母でした。
お疲れ様でした。
また、母本人にとどまらず、
母の兄弟と親戚の皆様、近隣の皆様、教会の皆様、そして
母が医療関係のキャリアの中で築いてきた「人の繋がり」に助けられて、
特別のご配慮とご支援を頂戴していることを、
とても強く感じておりました。
心から感謝しております。
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先週、10日木曜日の夜、母からの電話で、
離れた土地で暮らす3人の息子たちが集まりました。
父の顔を撫で、体をさすりながら話しかけるなど、
父が元気だった頃には思いもよりませんでしたが、
3年間のうちにそれが自然にできるようになっていました。
私たちの声は、最期まで父に聞こえていたように思います。
そして父は、静かに、本当に眠るように息を引き取りました。
3年間も頑張ってくれた上、最期のお別れの時間までもらえて、
私たちは落ち着いて別れを受け止めることができました。
父の魂を閉じ込めていた体が、土に帰る日が来て、
魂はようやく解放され、天に召されました。
父の生と死の全てに感謝致します。
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今後の事ですが、
父の昇天で、母の肩の荷がすっかり降りてしまいました。
祖父の介護が過ぎ、祖母の介護が過ぎ、病院の仕事から離れ、
一緒に暮らしていた孫が大学に進学し、そして父の介護が過ぎました。
人間、肩の荷をおろし過ぎると良くないとは聞きますが、
仕事を離れた父が、思いのほかたくさんの生き甲斐に囲まれて
忙しく生きていたことを思えば、
母も同様に楽しく忙しく暮らしてくれるだろうか。
そうあって欲しいと願っております。
父の残した4人の家族、普段は離れて暮らす間柄でございます。
この富岡の地で、毎日の生活圏をともにしている皆様には、
これまでと同様、今後のことに付きましても甘えさせていただきたく、
何卒よろしく、お願い申し上げます。
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本日はまことにありがとうございました。